経世済民 2019 4 30

 今日で「平成」という元号が終わり、
明日からは「令和」という元号が始まります。
 メディアでは、平成の時代を振り返って、
「歴史的な側面」から、あるいは「文化的な側面」から、
平成の時代を鳥瞰してしますが、
私は、あえて経済の面から平成の時代を振り返りたいと思います。
 平成の時代の始まりは、
日本は、「唯一の超大国」として始まっているのです。
 世界の株式時価総額ランキングにおいて、
上位10社のうち8社は、日本企業でした。
これは、まるで国内ランキングではないかと勘違いするほどだったのです。
 しかし、今や、世界ランキングにおいて、
上位50社の中に入るのは、トヨタ自動車だけとなりました。
 日本は、没落してしまったのか。
いや、違います。
日本は、世界最大の債権大国となったのです。
 つまり、世界へ日本製品を輸出して稼ぐ「工業国」から、
世界から利子や配当を得る「金融国家」になったのです。
 たとえ「工業国」から「金融国家」になっても、
日本は、世界トップの座を得ていますが、
国民生活は、貧しくなったでしょう。
 「工業国」の時代は、
より多くの国民が、その利益を享受できましたが、
「金融国家」の時代においては、
多くの国民は、その繁栄を実感できないものとなっています。
 金融国家は、月並みな言葉で言えば、
「金貸し」のようなものであり、
国民全員が「金貸し」になるわけにはいかないからです。
 一方、アメリカは、どうか。
現在、世界の株式時価総額ランキングにおいて、
アメリカ企業が大半を占めていますが、
多くのアメリカ国民は、その繁栄を実感できない状況にあります。
 今のアメリカ企業で活気があるのは、
グーグルやアマゾンに代表される「IT企業」であり、
製造業は、とうの昔に衰えているからです。
(以下の「Flyover country」を参照)
 さて、「経世済民」とは、
「世の中を治め、国民を救うこと」であり、
現代では、「経済」という言葉になったとされます。
 「令和」の時代においては、
日本の資本主義精神の父と言われた「渋沢栄一」のような人物の出現を祈りたい。
 渋沢栄一の思いは、政治という権力闘争ではなく、「経世済民」だったでしょう。
権力闘争は、決して国民を幸福にするものではありません。
 渋沢栄一は、明治政府で、しばしば繰り返された権力闘争を
どのような思いで眺めていたのでしょうか。
渋沢栄一にも、政治家としての能力はあったはずです。
 おそらく、総理大臣としての能力はあったでしょう。
しかし、国民を豊かにしたいという思いが勝っていたのでしょう。
 平成の時代は、権力闘争に明け暮れた時代だったと言えます。
「政局はわかるが、政策はわからない」という政治家が多数出現したことは、
日本国民にとっては、不幸なことでした。

「超一極集中社会アメリカの暴走」(小林由美)という本には、
このようなことが書いてあります。
 アメリカ国民は、富の集中や金権政治にうんざりしています。
労働者の味方だったはずの民主党が、
クリントン政権の頃から都市の進歩派富裕層を主要な資金源に取り込み、
彼らの利益を代表するようになりました。
 アメリカは、Flyover country(上空を飛ぶ国)になって、
つまり、権力者も資金も、東海岸と西海岸を飛行機で往復するだけで、
その空路の下にある大陸中央部は、完全に無視され、馬鹿にされている。
中西部や南部の労働者は、生活困窮の原因をそのように認識していました。
(引用、以上)



















































































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